あたりまえのものは,天からの贈り物である。私たちのまわりは,美しい恵みに満ちている。
子どもは,喃語(なんご)を発し,話し始める。そして,未来を語り,見えないものについて考え,人に教えたりすることができるようになる。どれも人という種に特有の能力である。
一方,あたりまえのものは,よく見えない。
ことばは,親から習うもの。母語が話せれば,教えることができる。手話は,ジェスチャーで世界共通。読んだり書いたりするのが困難なのは,勉強が足りないから。自閉スペクトラム症は,精神的な病。脳の障碍(しょうがい)は,必然的に言語障碍を伴う。言い間違いは,単に舌がすべったもの。文が訳せれば,文章読解はできる。方言や若者言葉は,乱れたことば,等々。これらは,どれも巷(ちまた)によくある誤解である。天からの恵みは,よく見ないと,その本質はわかりにくい。
本書は,一見,あたりまえに見える「ことば」と「こころ」のメカニズムについて,広く,人間科学や自然科学,医学や哲学などに興味のある人々や言語学,心理言語学に興味のある大学生・大学院生を念頭に置いて書いた心理言語学の入門書である。
本書の内容を紹介しておこう。
第1章では,心理言語学という分野を概観する。20世紀前半まで,言語学では「英語の文法」,「日本語の文法」などというように個別言語の特徴について体系化が進められていた。そして,子どもは母語を白紙の状態から学習すると考えられていた。ところが,20世紀中盤,言語学は大きな変革を遂げる。人間言語には共通の普遍文法があり,文法獲得の過程にも普遍的特徴があることが明らかになった。それに伴って,心理言語学もまた,心理学の手法を取り入れながら,脳科学の発展に裏づけられて,自然科学の一部として確立されていった。
その認知革命とも言える発展は,言語獲得に関する疑問に始まった。子どもは,なぜ人種にかかわらず,わずか数年の間に等質な母語文法を獲得し,学習したこともない文を理解し,生成できるようになるのだろうか。第2章では,この謎が,「人間の脳には生得的に言語獲得装置が備わっている」と仮定することで解明される可能性があることを論ずる。
第3章では,聾(ろう)者の母語としての手話,ディスレクシア(読み書き困難),自閉スペクトラム症,記憶障碍といったテーマを取り上げて,「障碍」としてひとくくりでまとめられない「ことば」の不思議な有様を明らかにする。
第4章・第5章では,「ことば」がどのように運用されるのかについて,産出と理解の両面から概説する。第4章では,主に言い間違いに潜むメカニズムを取り上げ,第5章では,読解の仕組みとストラテジーに焦点をあてる。言語の運用も言語知識をもとに行われるものであり,そこにもまた美しい体系がある。
第6章では,若者言葉や方言について,社会言語学とは異なる視点から見つめ直す。現代言語理論のもとでは,「○○語は美しい」とか「“未開”の地の言語は劣っている」といった言語観は,もはや存在しない。若者言葉にも方言にも美しい体系が見られる。
あたりまえのように存在する「ことば」をよく見て,人の「こころ」について科学的に考える試みは,人間とはどのようなものか,ひいては人間はどのような遺伝子を持つのかという問いへの答えにつながっていくだろう。
本書にまとめた内容は,国立国語研究所(所長:影山太郎)理論・構造研究系領域指定型共同研究プロジェクト「言語の普遍性及び多様性を司る生得的制約:日本語獲得に基づく実証的研究」(2010〜2013,理論・構造研究系長:窪薗晴夫,プロジェクトリーダー:村杉恵子)と科学研究費補助金「主節不定詞のパラメター:比較統語論と言語獲得を繋ぐ試み」(基盤研究C:23520529,2011〜2013,研究代表者:村杉恵子)ならびに「時制句のパラメター:比較統語理論と文法獲得」(基盤研究C:26370515,2014〜2016,研究代表者:村杉恵子)で得られた成果を含んでいる。また,南山大学2014年度パッヘ研究奨励金I-Aからも助成を受けている。ここに記して,感謝する。
本書を執筆するにあたり,東北大学名誉教授・中村 捷先生から,全章にわたり,多くの貴重な示唆を頂戴した。また,国立国語研究所教授・窪薗晴夫先生には第4章についての重要な示唆を得た。永年の友人であり研究仲間でもある橋本知子氏ならびに川村知子氏からは内容から編集に至るまで多くの援助を頂戴した。拙著の礎になっているのは,南山大学言語学研究センター(センター長:斎藤 衛)の国際的な研究活動と,南山大学教育・研究支援事務室の温かな支援である。これらの献身的な支えがなければ,本書がここに存在することはなかったであろう。
また,幼児言語,言い間違い,若者言葉,方言などに関するデータには,筆者の心理言語学に関する授業(南山大学,名古屋市立大学,名古屋大学,東北大学,神戸大学,三重大学,金城学院大学,放送大学)において学生の皆様との議論の中から得られたものも含まれている。これらは,楽しかった思い出とともに筆者の生涯の宝となるだろう。
本書の企画は,みみずく舎のM氏との邂逅に端を発している。多くの貴重で丁寧なアドバイスを頂戴したことに,深くお礼を申し上げたい。
最後に,この分野についてご教授くださった天満美智子先生とDiane Lillo-Martin先生をはじめ,ことばとこころについて教えてくださった先生方,研究を共にしてきた仲間・学生・友人,そして家族に,この場を借りて,心から感謝する。あってあたりまえのものは,なくてあたりまえでもあることを思うとき,読者の皆様を含め,大切な方々に拙著を捧げる機会が与えられていることも,また,天祐である。
2014年9月
村杉恵子