チャートシリーズで「精神科」が1985年に初めて発刊されて,既に四半世紀経過した。その間,国家試験のありかたも大きく様変わりしてきていることは,当然のことである。それに対応した改訂は随時行ってきた。もちろん精神医学の本質に大きな改革や変化があったわけではない。しかし今回は全面的に見直し,書き直しを行い,初版の本を作成する意気込みで大改訂を行った。その結果できあがってみると,予想以上の大きさになった。それにはいくつかの理由がある。
まず精神医学を学ぶために必要な事はなにか。身体医学が細分化されて高度先進医療が盛んななかで,精神医学はある程度の専門性や細分化は進んできているが,知識としてはまず精神医学全体をどの分野の専門家も満遍なく必要とする。その屋台骨,舞台となるのは「精神症状学」である。ここをまず増強する必要があった。国家試験の問題はこの症状学の知識を持って対応すれば,怖いもの知らずである。
次に診断学であるが,この四半世紀の大きな変化は従来診断から操作的診断法に変わったことである。従来の教科書は推定原因に基づく内因性精神病を主軸にまとめられていた。現在はその意味では推定原因ではなく,症状の特徴から操作的にいわば症候群としてまとめることに重点を置くようになった。この見立ては臨床面で功罪の両面があるため,従来診断と操作的診断を併記することが一般的である。その視点で大幅に本書は書き換えたのである。これは医学生,研修医のみならず,その教育を受けてこなかった世代にも有用である。もちろん国家試験は新しいとも既にいえないが,操作的診断法によって出題されている。
三番目には医学生にとって以前は治療法はあまり問題にされなかった。その出題基準からも外されていたが,最近ではある程度の標準治療法は問題にされている。そのことから今回は治療学にも重点を置いて書き直しを行った。これは国家試験を無事終え医師になったとき,どの領域に進んでも必要な知識となる。全人的医療の必要性から身体医学の根幹にある精神機能,その障害の理解と標準治療法の熟知は当然重要な課題である。
医学生のための精神医学教科書は数多くあるが,それぞれいろいろな視点をもって工夫されている。あらためて読むと,医学生のみならず研修医,精神科専門医にとっても非常に役に立つものが多い。精神医学の守備範囲は非常に広いため,臨床経験が長くても思わぬ知識の欠損があることがある。教科書というのは繰り返し読み返すことが重要,かつ有用であることを実感する。
また,最近の医師国家試験を検証してみると,その様変わりは随所に見受けられる。しかしよく見直してみると,試験問題の様式の変化があるように思う。これは内容が難しくなったのではなく,試験問題のありかた自体が向上してきた結果のようである。医学生が卒前教育で最低限度学ぶべき,医学的知識を確実に自分の物にしておけば恐れることはない。
そのきっかけとなったのは,平成17年12月より4年生修了前に共用試験を実施し,さらに客観的臨床能力試験(OSCE)を学年試験に積極的に導入したことがあげられる。OSCEのなかでも医療面接は重要である。医療面接の基本は精神科臨床にあると言って過言ではない。精神科の基本的な知識を体得すると医療面接の重要なポイントは自然に学ぶことができる。すなわち精神科を受診する方は,自分の症状を的確に表現できなかったり,病識がなかったりする。そのような患者さんと面接するために必要な人間的,医学的知識は,すべての臨床科の基礎に重要かつ必要な知識といえる。
本書は多くの専門家の分担執筆であるが,そのほとんどが東京慈恵会医科大学精神医学講座で学び,活躍している人たちである。その意味では未だ曖昧で統一した見解のない領域も残されていると言わざるを得ない精神医学の世界で,統一した考え方をもった執筆者によって作成されたもので,しっかりとしたぶれない軸足のある精神科の教科書ができあがったといえる。本書が医学生をはじめ,研修医,精神科医療に携わる広い領域の方々にお役に立つことを願っている。
2010年6月
中山 和彦