分析化学とは,物質を構成する原子・イオン・分子の種類や化学状態を決め(定性分析),それらの含有率や量を求める(定量分析)方法を開発するための学問である.測定対象となる試料は,地球環境試料,生体試料,金属材料,半導体材料,高分子材料などさまざまである.元素は111種類あり,分子の種類は無限といってもよい.調べたい成分の含有率は,数十%から数ppt(parts per trillion,質量比では1/10
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-1)の超微量成分まで,10桁以上の幅がある.化学物質を扱う限り,その構成要素である元素種や分子構造,およびそれらの量を知る必要があることから,分析化学は必須の学問といえる.先の分析化学の目的を達成するには,いかにして目的成分を高い選択性で分離(検出に邪魔になる成分を取り除く)し,高い感度(単位濃度変化あたりの信号の変化量)で検出するかがポイントとなる.そのためのキーワードは「分離」と「検出」であり,そのための考え方(戦略)を学ぶことが分析化学を学ぶ主目的である.
分離とは,目的成分の検出を妨害する成分を除去することである.分離法の一つとして水溶液中の金属イオンの溶解度の差を利用した方法を高等学校で学んだ.2種類の金属イオンがあっても適当な陰イオンを加えることにより,溶解度積の違いから目的成分を沈殿物として,もう一方を水溶液中に残すことができる.ほかにも,水と油を溶媒としたときの溶解度の差,固体への吸着量の差,特異的化学反応など目的成分の分離に関しては化学的な相互作用を上手に利用するところに価値がある.
検出とは,分析成分の物質量に依存する何らかの信号を取得することである.高等学校で学んだ中和滴定を例にとる.透明な塩酸水溶液に透明な水酸化ナトリウム水溶液を滴下する.中和反応で生成される塩化ナトリウム水溶液は透明であり,滴定途中どの時点で当量点に達したのかはこのままではわからない.そこで登場するのがフェノールフタレインのような滴定指示薬であり,当量点を色調の変化から検出する.当量点付近では水素イオン濃度の急激な変化が起こり,フェノールフタレイン分子が酸から塩基になり,吸収する光の波長が変化する.たった数滴を試料溶液に添加するだけで,水素イオンの濃度変化を色調の変化として検出する指示薬に価値がある.
分析化学を学んでいると,さまざまな学問分野と深い関わりがあることがわかる.沈殿反応や酸塩基反応は溶液化学であり,滴定指示薬の合成は有機化学であり,色調の変化の原理は物理化学である.また,分析法として構築するためには,検出器からの電気信号の取り扱い,装置全体のシステム化・自動化,データ測定・データベースなどのソフトウェア開発など,工学的な最新技術もどんどん取り入れる必要がある.何の関連もなさそうな個々の科学や技術を融合し,方法論として成立させているのが分析化学なのである.
本書は,大学学部の低学年用の分析化学の教科書として,溶液中のイオンや分子の分析法を軸に学習することを目的としている.第1章では,分析化学とは何かという学問領域における位置づけを明確にし,また,分析用語や定量に関わる基礎事項について述べた.第2章と第4章では,検出に重点を置いて,電磁波の一種である紫外・可視光を利用した原子・分子スペクトルと,イオンや分子間での電子のやりとりである酸化還元反応を利用する電気化学分析法をそれぞれ学ぶ.第3章では,化学平衡論に基礎を置く容量分析法として,酸塩基反応や錯生成反応といった溶液化学の基礎を解説し,分析化学ではどのようにそれらの反応を利用するかを記述した.第5章では,混合物を化学的な相互作用により分離するための沈殿反応や溶媒抽出を学び,それを多段階にした各種クロマトグラフィーにおける分離と検出を学ぶ.第6章では,多種多様な夾雑物から特異的な反応を利用して目的成分を分析する生化学分析を取り上げた.これまでの分析化学の教科書にはあまりなかった視点を随所に取り入れたつもりであり,さらに分析化学の面白さを読者に伝えることができれば幸いである.
おわりに,刊行に至るまでに見守っていただいたみみずく舎/医学評論社編集部に深謝いたします.
平成21年9月
著 者
藤浪 眞紀
岡田 哲男
加納 健司
久本 秀明
豊田 太郎