地球の年齢は約46億年といわれていますが,その長い歴史をもつ地球の一部をなすわが日本列島は,古事記によれば天地開闢以来,混沌状態が続く中,天上界の神々がイザナギ・イザナミ2神に「この漂へる國を修め理り固め成せ」と命じたことに始まります.そこで,2神は天上界と下界を結ぶ天の浮橋に立ち,矛で海を掻き回してから引き上げたところ,先端から滴り落ちる海水から「おのごろ島」が誕生したといいます.つまり,このとき神話的には地球最初の堆積岩が形成されたわけです(後述するように現在では既に変成していますし,地質学的には火成岩が地球最初の岩石です).この「おのごろ島」は,淡路島北方の絵島だとか,南方の沼島だとか紀淡海峡(友ヶ島水道)の沖ノ島だとか諸説あります.さらに,写真のように「おのころ島」(ここではOnokorojima)のいわばミニチュアが,宮崎県高千穂神社境内の池中にあります.いずれも伝説の真偽を問うのは野暮というものです.
その後,2神による国生みが本格的に始まり,穂の狭別島(淡路島),伊予の二名島(四国島),隠岐の3つ子の島(隠岐島),筑紫の島(九州島),伊伎の島(壱岐島),津島(対馬島),佐渡の島(佐渡島),大和の島(本州島)で合わせて「大八島(州)国」と称される日本列島およびその土台をなす岩石が形成されていったと伝えられています.ちょっと脱線しますと国民的人気の映画「フーテンの寅さん」で,しばしば主人公のタンカ売の冒頭の口上に「国の始まりは淡路島」とあるのは,これを踏まえているわけです.
地質学的には,新生代新第三紀中新世という地質時代の始め頃(2千数百万年前),それまで位置していたアジア(ユーラシア)大陸東縁から切り離され,日本海を形成拡大しながら,東北日本は反時計回りに,西南日本は時計回りに回転移動して,太平洋側に張り出して現在の位置に達したのです.日本列島の基盤を作っている大陸性の最古の岩石は,西南日本の最も内側(日本海側)で,富山県東部〜岐阜県北部〜福井県東部から北側に位置する飛騨帯と呼ばれる地域(地質区)に分布しています.その多くは変成作用を受けていますが,源岩は20億年以上前のものです.最も新しい石は現在の火山活動による溶岩や火山屑砕岩などです.これらの形成年代も岩石学的性質も,さまざまな石たちはできたときから自然の多様な地質作用にさらされて,その形態,構造や性状を刻々と変えていきます.山脈としてまた岩塊として屹立している大規模なものから,浜辺の小石に至るごく小規模なものまで,石は身近にあふれています.
筆者らの独断からすると,日本人ほど身近に石と親しみ,石に名前をつけ,石にあれこれの歴史や思いを忖度し,種々楽しむ民族は少ないのではないでしょうか.垂直な壁のような岩塊を「屏風岩」,水平な床のような岩塊を「千畳敷」,2つの近接した大小の岩塊を「夫婦岩」などと名づけるありふれたネーミングから,一度や二度聞いても理解しがたい奇怪な名称など,全国各地にある自然が彫琢した岩塊に名をつけ季節とともに嘆賞するのみならず,ある時は畏敬の対象として崇め,歴史上の事件や登場人物をまつろわせ,また人為的にあれこれ手を変え品を変えて大小さまざまな石くれを愛でる様は,さもありなんと察するに余りあります.石の世界も,神や仏の籠もる聖なる岩から観光用途で名づけられた俗なる石まで,また多様です.
石の語る声なき声に耳を澄ませ,わが国の豊かな自然が育んだ石の世界をご一緒に探訪しませんか.本書の構成は常世から現世へ,聖なる石から俗なる石へ,神や仏にちなむ石から人の営みに関わる石へ,さらに動物と関わる石へと順を追っていきます.もちろん厳密なものではなくその地域に関わって脱線する部分もありますが,ご寛恕ください.なお,地名は最近の町村合併で変わってしまったところも多々ありますが,石(とくに石材)にはその地名を用いて称することも多いのであえて旧名を使っている場合もあります.また,写真撮影提供者は,須田郡司(S),加藤碵一(K),遠藤祐二(E),伊藤順一(I),中野啓二(N),吉川敏之(Y)です.
さて,石を理解するのには,ある程度の地質学的知識があるほうがより楽しめるのではないかと思います.とはいってももちろん本格的知見は不要ですし,それがなくても十分楽しめます.本書の記述でもなるべく専門用語は避けて平易に述べたつもりですが,地質の時代,岩石・鉱物名などやその背景を表現するのに最低限の術語を使わざるをえない部分がありました.そこで,付録として地質年代区分の表,日本列島とそれを取り巻く地域の簡単な地質構造の図,岩石の分類表(火成岩はやや詳しい分類表)や用語集をご参考までに載せてあります.適宜お使いください.
本書の刊行に当たっては幾重ものめぐり合わせがありました.筆者の一人加藤は,地質の研究者として長年日本各地を調査研究に訪れ,専門の業務のかたわら石の俗称について趣味の巡業を続けました.その過程で知り合ったもう一人の著者須田は写真家ですが,やはり石に魅せられてここ数年車を駆って全国を精力的に石巡業しており,一段落ついたこのとき,旧知の出版社編集者である和泉浩二郎氏とめぐりあい,このたびの刊行となった次第です.数え切れない方々のご支援をいただきましたが,紙数の関係で列挙することもままならず,この場で厚く深く謝意を表する次第です.
それではさっそく.
2008年8月
加藤碵一
この十数年間,私は人と関わりのある石をテーマに撮影の旅をつづけています.古来から信仰されている磐座や巨石,奇岩などの景勝地,そして特にアニミズム的な世界に強く魅かれています.石を巡れば巡るほど,石は人間に対してある種の意思を持って存在している,などと思えてくることがあります.特に2003年から2006年の三年間,私は日本各地の石を訪ねる旅,日本石巡礼なるものを行いました.「石の上にも3年」の諺のように,日本列島を北から南へと車で駆け巡ったのです.その旅を通して感じたことは,日本には何とも多くの石が存在している,という事実の驚きでした.日本にはさまざまな石の景観が存在しています.海岸に屹立する奇岩,怪石,森の中にひっそり佇む石,山岳霊場の巨岩,山頂に起立する巨石などです.石に出会う旅は,地域に根差す魅力的な方々との出会いの場を与えてくれるものでした.それと同時に,多くの石好きな方々とも出会えました.
この旅の途上,地質研究者である共著者の加藤碵一氏と出会えたことは,石巡礼の中でも大きな贈り物のように感じております.加藤氏は並々ならぬ石好きな方で,専門の地質研究は元より,宮沢賢治のよき理解者として地的世界を語り,石のエッセイを書きつづけておられる方です.今回,加藤氏から日本石紀行の話を伺ったのは,ちょうど石巡礼の旅が終わりに近づいている頃でした.私は,写真家として喜んで参加させて頂いたしだいです.
この日本石紀行は,信仰される磐座,神と仏の石,怪力乱神と関わる石,人の営みと人生に関わる石,石の動物園など,聖なるものから俗なるものまで,さまざまなコンテンツで石の世界を展開しています.また,それぞれの石には地質学的な説明が施され,貴重な資料としての役割も充実しています.
先史時代の人々は自然の形のままで石を使ったり,あるいは加工しながらさまざまな道具として使ってきました.建築から墓にいたるまで石の用途は幅広く,さらに,人間の生き方と深く関わりを持ち続けています.
「石は気の核なり」
これは中国の明時代の医師・李時珍著『本草網目』の中の鉱物の項目で最初に出てくる言葉です.石という鉱物の中に,気という目に見えないエネルギーを感じる感覚は,アジアにおいてはごく当たり前のように思えます.私が石巡礼をつづけているのは,石の中にある,まさに気のような存在を感じたいからだと思っています.この日本石紀行により,読者の方々が石の魅力を感じ,石を楽しんでもらえることを確信しております.
さらには,石の世界を開く扉になることを願いつつ….
2008年8月
須田郡司
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