Kirkland博士らが高速液体クロマトグラフィー(HPLC)を創始したのは1969年のことである.人間で言えばHPLCもそろそろ40歳,不惑の域に近づいた頃であろうか.まさに脂がのった働き盛りの中年にあたる.事実,HPLCは分析、分取を問わず産業界の殆どあらゆる分野で活用されており,いまや社会にとって不可欠なツールとなっている.世の中にはモノをはかるための様々な計測器,センサーの類が動いているが,恐らくHPLC装置はそれらの中で科学的なデータを最も多く量産しているものの一つと思われる.例えば大学においても,理工系,薬系,農系など理科系学部ではどこの研究室を覗いてもHPLC装置は必ず見かけるものであり,往時のpHメーターや比色計などと同じく,現代の汎用装置と位置づけられよう.
HPLCは今でこそ分離手法の中で確固たる地位を占めているが,1980年代に格段の高理論段を誇るキャピラリー電気泳動が市販装置を伴って登場した局面では,分離分析法としてのHPLCはそれに取って代わられるのではないかという懸念が人々の脳裏を掠めたものである.ところが,桁違いの高性能分離能という得難い特長にも拘わらず,キャピラリー電気泳動は主に実試料の分析における再現性が足かせとなり,予期に反して伸び悩んでいるのが実情である.
HPLC装置が,他の分析機器に類を見ない爆発的な勢いで社会に普及するにつれ,HPLCやその装置を必ずしも熟知していない方々がHPLCを用いて実験・研究を行うケースが増えてきた.ところが,急激に増加したHPLC初級者を適切に指導できる団塊世代が続々と定年を迎え始めた昨今,状況は極めて深刻であり,正しい知識と確かな技術を如何にしてきちんと次世代に伝えていくかが焦眉の急となっている,この問題は,何もHPLCに限らず,日本ではあらゆる分野・領域に共通する問題である.
このような視点から,液体クロマトグラフィー研究懇談会は人材育成の重要性に鑑み,ほぼ毎月の定例講演会に加え,1泊2日の液体クロマトグラフィー研修会(LC-DAYs),2日にわたる技術情報交換会(LCテクノプラザ),春秋の見学会などを毎年開催してきた.一方,より広範囲な読者層を対象に「液クロ虎の巻」シリーズ6巻,「液クロのコツ」シリーズ4巻を活字媒体として発行し,HPLCの啓蒙に務めてきた.これらの出版物は,前者はQ&A方式でHPLCの理論,装置,技法などを易しく解説することに主眼に置き,また後者はHPLC分析のコツを「前処理」,「分離」,「検出・データ解析」に切り分け,ざっくりと理解して貰おうという趣旨で企画した実務書であった.
この度,刊行の運びとなった本書は,上記の二つのシリーズを実験者の視線から補完するものであり,実際に液クロ実験に携わった場合に遭遇するであろう,疑問や迷いに的確な判断と正しい解決法を提供できる内容を盛り込むことを目的とした.即ち,装置,分離,検出,前処理など,液クロ実験の主要な切り口ごとに実験する上でのキーポイントを抽出し,合計123項目をリストアップした.これを本研究懇談会の50名の運営委員に提示し,掲載項目と執筆者を厳選した上で,各自の得意とする項目を執筆してもらった.若干の項目については運営委員所属機関にも執筆を依頼した.このようにして書き上げられた全ての原稿を1泊2日の査読会で徹底的に内容を吟味し,可能な限り具体的に記述するよう努めた.その結果,本書は液クロ実験に即した97のキーポイントを網羅し,マニュアル本としては質・量ともに類書を見ない内容に仕上がったと自負している.熟読戴ければ,随所に疑問が雲散霧消する記述に出遭われることであろう.本研究懇談会が全力を挙げて取り組んだ本書が,読者の液クロ実験に役立つことを望んでやまない.
最後に,本書に出版の機会を与えて戴いたみみずく舎/医学評論社の編集部の方々,並びに11月末から12月初旬にかけての年中行事となった液体クロマトグラフィー研修会(LC-DAYs 2007)に間に合わせて戴く為,短期間で製作・刊行に漕ぎ着けてくれた悠朋舎に心より御礼申し上げる.
2007年10月26日
企画・監修 中村 洋
社団法人日本分析化学会 液体クロマトグラフィー研究懇談会委員長,東京理科大学理事・薬学部教授