本書は,2008年度に開始された(独)科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)で研究領域「二酸化炭素排出抑制に資する革新的技術の創出」の中の一研究課題「オイル産生緑藻類
Botryococcus(ボトリオコッカス)高アルカリ株の高度利用技術」(代表は編者)の推進メンバーが主となって執筆したものである。まずは,私たちが本書を刊行するに当たり,私たちを取り巻く状況と背景がどのようなものであったのかを述べてみたい。
第一次石油ショックや地球温暖化問題の勃発に伴い,藻類による二酸化炭素吸収とエネルギー生産の研究プロジェクトが,1987年から2000年にかけて世界中で活発に展開された。しかしながら,1990年から2001年まで続いた石油安値安定(12〜20ドル/バレル)により,多くの藻類研究プロジェクトは中止を余儀なくされた。日本でも1990年度から1999年度までニューサンシャイン計画の一環として藻類プロジェクトが実施されたが,2000年3月に中断し,研究者・技術者は分散した。私たちの研究グループが藻類燃料開発研究を行おうと決断したのは,まさにその分野の厳冬季のまっただ中であった。それまでは有毒アオコの研究など,環境汚染に関わる藻類を対象としていた私たちが,なぜ,だめだと評価された分野に取り組んだのか。それは,藻類がもつエネルギー資源としての大きな潜在能力を発揮させることなく,単に社会情勢だけで中止するという状況に,科学者として我慢がならなかったことによる。はたして,研究予算をいただいていたある省からは,研究を進める過程でくそみそに誹謗中傷され,2006年度末で研究費が突然カットされた。しかしながら,捨てる神もいれば拾う神もありで,2007年度に科学研究費補助金を得てなんとか研究を継続することはできた。そこに突然の藻類ブームである。2007年の
Nature(
447(31),520-521)掲載の“Algae bloom again”という記事で,少数のパイオニアが藻類燃料を瀕死の状態から復活させようとしていることが紹介されたことが契機となったといえる。藻類は食糧と競合せず,オイル生産効率が非常に高いことが再び注目され,世界中で藻類燃料開発プロジェクトが推進されている。中には,藻類燃料開発は終了したかのように思わせるような海外からの発信もある。日本では産業界の関心は高いにもかかわらず,一度藻類利用研究を中断してしまったことから,政府の取り組みは大きく立ち後れてしまった。総合科学技術会議が策定した環境エネルギー研究開発計画に,藻類バイオマスの重要性を記した提案をしたが,取り入れられることはなかった。
2009年から,ポスト京都議定書を見据えて,国際的に大きなうねりが起こっている。2009年9月22日にニューヨークで開かれた国連気候変動首脳会合で日本政府の首相が演説し,温室効果ガス削減の中期目標としてすべての主要国が高度に意欲的な協定に参加することを条件に,日本は2020年までに1990年比で25%削減を目指すと表明した。これは,国際的に大きな支持を受け,これまで京都議定書に参加していなかった主要な温室効果ガス排出国に大きな影響を与えた。中国政府は2009年11月26日に,国内総生産(GDP)あたりの二酸化炭素排出量を,2020年までに2005年比で40〜45%削減するとの目標を発表し,さらにインドではジャイラム・ラメシュ環境・森林担当国務相が2009年12月3日の国会(下院)で国内総生産(GDP)単位あたりの温室効果ガス排出量を2005年比で20〜25%削減する計画案を発表し,また,アメリカのオバマ政権は2009年12月にコペンハーゲンで開かれた気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP 15)で,温室効果ガスを2005年比で2020年までに17%,2025年までに30%,2030年までに42%,2050年までに83%削減するという目標を提示した。ブラジル政府は自発的な削減計画を実施し,何も対策をとらなかった場合の2020年の推定排出量から36〜39%削減するとの目標を定めており,主に,アマゾン熱帯雨林における伐採の抑制により排出量削減に取り組むとしている。インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は2009年9月29日の演説で,主に熱帯雨林における伐採の抑制により2020年までに推定されている排出量から26%削減することを目標とすることを謳い,国際支援が得られれば,目標値を41%に引き上げることも可能だとした。ロシアではドミトリー・メドベージェフ大統領が,2009年12月18日に行われた欧州連合(EU)とロシアの首脳会議において,2020年までに排出量を1990年比で20〜25%削減することに合意した。京都議定書参加国であるEUは一段と積極的な削減を求めており,1990年比20%の削減を確約し,また,他の先進工業国が続くなら,30%に引き上げるとしている。オーストラリアでは排出量を2020年までに2000年比で5〜25%削減するとの法案が議会に提出され,カナダ連邦議会は1990年比で25%削減するという動議を採択した。このような世界のうねりは,先述の国連気候変動首脳会合での日本政府首相の演説が引き金となったものであり,日本が主導的役割を果たしたといえよう。
一方で,石油資源をはじめとする化石燃料が枯渇に向かうという判断が,世界の経済と政治に深刻な影響を及ぼしている。エネルギー資源の価格は,需要と供給のバランスが危うくなると非常に不安定になり,イラン革命,イラン・イラク戦争などに端を発した1970年代〜1980年代の第一次・第二次石油ショックは大きな社会・経済の混乱をもたらしたが,2004年から2008年にかけての石油価格の異常な上昇は,アジア諸国を中心に世界のエネルギー需要が急増したことにより中長期的に石油需給の逼迫をもたらすと考えられたことによる。これまで世界経済を支えてきた石油の枯渇が本格的なものになってきたといえる。このように人類は地球温暖化とエネルギー資源枯渇という深刻な問題に対面しており,最近では,市民の間にも,エネルギー政策と地球規模の気候変動対策は表裏一体であるとの認識が高まっている。
私たちの研究グループの科研費での基礎研究は2009年度で終了したが,2008年10月から科学技術振興調整費戦略的創造研究事業でオイル生産効率を1桁上げることを目的として,藻類バイオマスプロジェクトを展開している。日本の藻類の基礎研究レベルは世界一である。私たちが藻類の基礎研究で蓄積してきた知識と技術を,藻類バイオマス燃料開発に動員している。私たちは,藻類バイオマスが地球温暖化とエネルギー資源枯渇という重大問題解決に大きな貢献をするものであることを確信している。その確信はどこからくるのかを伝えたいというのが,本書刊行を決断した理由である。
本書は,第1章で地球温暖化や新エネルギー資源,第2章でバイオマスエネルギーの現状を示した上で,第3章で藻類バイオマス資源について,基礎的なものから応用に至る状況について説明した。これらから,私たちが直面する地球温暖化とエネルギー枯渇という重大問題に対して,藻類に期待されるところが何なのかが理解できよう。第4章ではオイルを産生する代表的な藻類を示し,第5章〜第8章で応用開発分野の紹介に入る。第5章で藻類の大量培養と収穫・回収,第6章で藻類オイルに関わる科学と技術,第7章で経済性評価,第8章で燃料以外の利用について,まとめている。最後の第9章で私たちの夢を語らせていただいた。
本書が,これから藻類バイオマス研究開発や科学技術政策に取り組もうとする研究者,技術者および行政官の方々や,藻類に関心を示す国民の皆様のお役に立てれば幸いである。
最後に,本書を刊行するに当たり,みみずく舎編集部のご努力に深く感謝する。
2010年8月
編者 渡邉 信