この本を書くに至った動機はいろいろありました.人間誰でも60歳を過ぎると,そろそろ引退を視野の中に捕らえているか,あるいはすでに引退をしている年齢です.自分の時間を持てるようになり,またはそれを作ろうとする努力をするようになると,今までの自分を振り返るようになります.私の場合もその年になると誰もが罹る「書きたい病」に感染したのかもしれません.
私が渡米したのは1972年です.
その頃日本で出会った先輩の中に,アメリカで十分な臨床訓練を経て日本でも専門家として活躍している先生方がいました.貧しかった日本からフルブライトなどの奨学金を得て,その当時光り輝いていたアメリカに渡り各自それぞれの分野で勉強をし十分な見識を身につけ,アメリカ人の友人を作り,日本に帰国してからも第一線で活躍していた人たちです.その中には,医学の領域で私の一生の師ともいえる方々もいました.そして,私も彼らと同じように勉強をしたい,彼らと同じ経験をしたい,もしできればその経験を日本の次の世代に伝えたい,と考えるようになったのです.
今の日本には,私と同じ頃にアメリカで勉強し,早くからその医療を日本にも取り入れようとした医師たちがいます.
彼らはその栄光の時期のアメリカ医療を知っています.医師が自分の職業に高い誇りを持ち,その提供する医療の質を維持するための研鑽を怠らず,「患者のため」を第一義としていた時代の医療です.
お金がかかるのも無視できた時代でした.アメリカに渡った方の多くは,いわゆるアカデミックな施設,すなわち大学や大きな研究所に付随する場で研究を中心とした経験を積んでいましたが,アメリカの医療の強みはそのような場にはなく,一般の病院や診療所で働く医師や開業医と他の医療従事者の機能と質の高さにあったのです.そして,その質を維持したり向上させたりするための設備や教育には惜しみなくお金が使えました.
そのアメリカ医療の栄光に影がかかり始めたのはヴェトナム戦争の終わりからで,それに拍車がかかりマネージド・ケアに関連して医療経済問題が出始めたのは今から20年も前のことです.
日本では皆保険制度がしかれていますが,アメリカでは医療費の大部分は民間企業である保険会社や病院経営会社が担っています.例外といえるのは,老人や身体障害者を対象とし政府の外郭団体で管理されているメディケアや,低所得者の福祉のために各州ごとに運営されているメディケイドと退役軍人のための医療ぐらいでしょう.メディケアが作られた1965年は,黒人の公民権運動が始まり自由平等が叫ばれ始めた頃です.年をとれば誰もが平等に医療が受けられることは良いことだと考えたのです.
その頃の医療にはあまりお金がかかりませんでした.MRIはもちろん,超音波の機械もCTスキャンもなく,循環器の検査は心電図ぐらいの時代でした.将来,老人の数が今のように膨大に増え,それにかかる医療費も現在のように膨れ上がろうとは誰も考えなかったのです.
民間の保険会社も医療費の急増についていかれなくなりました.出来高払いの医療費の支払いを続けるために保険料を値上げしましたが,今度はその高くなった保険料を加入者が払えなくなって保険を止めるようになったのです.現在,アメリカ国民の20%近くが何の医療保険にも入っていない状態です.
今,アメリカ医療には統制経済の嵐が吹きまくっています.DRGとはDrug Related Groupの略ですが,日本でも厚生労働省が国公立の病院に取り入れようとしているので日本の医師にはすでにお馴染みの言葉になっています.ほかにもHMO,IPA,COBRA,HIPPAなど医療統制経済に関する言葉はいろいろあるのですが,前述のようなアカデミックな環境で良き時代のアメリカ医療を勉強した方々にはその辺の実感がありません.
1971年,当時のニクソン大統領は医療過誤調査委員会(Medical Malpractice Commission)を設け医療過誤の実態を調査させました.医事紛争の数が増加し,賠償額の高騰化にともない医療過誤保険料が値上がりしたのはこの頃からです.それと同時に医療過誤専門の弁護士も登場するようになりました.彼らは成功報酬制を導入し,原告は勝訴したときのみ賠償額の一部を弁護士に支払うという契約を結ぶので,医事紛争が容易に起こせるようになったのです.
医療過誤専門の弁護士の中には,原告すなわち患者の側に立つ弁護士だけでなく,医師を弁護する弁護士もいます.彼らは医師を弁護するだけでなく,医療過誤が起こっても裁判にならないように医療保険会社と一体となって医師を教育しています.
しかし,いったん訴訟になって負けてしまえば高額な賠償金を支払わなくてはならないのですから,医者が診療拒否をするケースもあります.その最初のピークは1974年から76年にかけてだったのですが,その後もあちらこちらで頻繁に起こっています.また,医事紛争を起こされまいとして,いわゆるDefensive medicine―防衛的医療とでも言いましょうか―に奔り,「念のために」必要でないかもしれない検査をしたり治療をしたりする傾向も見られますが,それも当然のことといえるでしょう.
医療過誤に対する法律は各州ごとに違いますが,医療過誤保険料が極めて高額であることにはあまり差がありません.多くの外科医は毎年1500万円以上もする掛け捨ての保険料を払っているのが実情です.これも医療費の高騰に繋がっています.
医療過誤の勉強をすることは,良い医療とは何かを学ぶ際の反面教師となります.いくらアメリカで勉強したといっても,多くの日本の医師にはこうした経験はありません.
私が東京大学医学部を卒業したのは1966年(昭和41年)です.その当時は専門に入る前に一年間いろいろな科を回って一般医学の勉強をすることになっていました.これはインターン制度と呼ばれアメリカで始められたものです.アメリカの場合は教育理念も研修体制も経済的補助もしっかりしていましたが,日本の場合は制度を取り入れただけで実際には教育体制も確立されておらず,ただ働きの一年でした.
そして昭和41年,インターン問題に対する不満が全国的に広がりました.この年,全国の医学部を卒業した学生たちはインターンを拒否し,全国に「41青医連」と呼ぶ組織を作ったのです.東大病院は41青医連と研修協約を結び「自主研修医」と呼ぶ言葉ができました.その後インターン制度は廃止されましたが(アメリカでもレジデント制度に吸収され廃止),卒業後の医者の訓練はまったくないがしろにされてきました.大学の医局制度には何の影響も与えなかったのです.そして今ここに厚生労働省主導の新たな研修医制度が始まり,日本の医療体系に大きな問題を引き起こしています.
いくらさまざまな問題が続出しているアメリカでも,その医学教育は依然として基本を貫き,新しい試みを導入しつつその目的「一人で患者を診られる医師を作る」を達成しているように思われます.そうして卒業し医師の免許を持っても,レジデントとして「専門医になるための研修」をする必要があります.
最近の経済的な問題や医療過誤問題の影響を無視することはできませんが,レジデント制度は全米専門医制度委員会の監督のもと何十年もの伝統があり健在と言ってよいでしょう.アメリカの医学教育や卒業後のレジデント制度を学び最近の問題を理解することは,現在の日本の医学教育と研修医制度に取り組むための参考になると考えます.
専門医制度のあり方も日本とはまったく異なります.アメリカではレジデントを終えて一人前の専門医になりさえすれば,一生自分の専門を続ける場,働く場があります.アメリカでは大部分の病院や医療施設はオープンシステムであり,医師は自分で病院を経営しなくても,既存の病院と契約をして自分の患者を入院させ,必要な他科の専門医と一緒に患者の検査や治療をすることが可能なのです.
病院がその医療内容を維持するために,アメリカではJCAHO(Joint Commission on Accreditation of Health Care Organization)という医療施設認定委員会が設けられており,標準医療を提供するための監督をしています.
アメリカの総医療費は国民所得の15%以上を占めています.その上,大部分の医療が民間企業で行われており,医療そのものが巨大な産業となっているのです.そのため,政治的なロビー活動が盛んに行われています.
2004年のアメリカ大統領選挙の際,医療過誤の原告側すなわち患者側の弁護士の団体である法廷専門弁護士協会(Trial Lawyers Association)の民主党への献金額は際立っていました.この団体には当時の民主党副大統領候補ジョン・エドワーズも関わっていました.彼は若い頃,救急車を追いかけて患者の運ばれた病院に行き,患者やその家族と請負契約を結び交通事故や産業災害などの賠償金を取ることを仕事にしていたことから,“Ambulance Chaser”(救急車追っかけ屋)と綽名されたいわくつきの人物です.彼は,医事紛争の原告側弁護士としても成功を収めていて,61例に勝訴し約114億円の賠償額を勝ち取っています.ちなみに,その61例のうち31例はお産の際に胎児に脳障害が起こったとして訴えたものだそうです.このような弁護士がもし副大統領になっていたらどうなっていたでしょう.
AARP(American Association of Retired Persons)という団体は「65歳以上を対象とした老人医療であるメディケアを受けられる人たちの権益を守る」が始まりの趣旨でした.経済的にも強く,また活動内容がリベラルで民主党寄りです.2004年の大統領選でも民主党のジョン・ケリー上院議員に肩入れをして多額の献金もし,イラク戦争反対の意見広告を出したり,同性愛者の権利の問題や妊娠中絶の是非について多くの会員の考えに反した行動をとったりもしました.2005年3月にはそれが新たに表面化し,問題になりました.
製薬会社も多くの献金をして自分たちの立場,権益を守ろうとしています.アメリカでは処方薬の代金は全額個人負担が原則で,特に老人の場合その額はばかになりません.最近ではインターネットでカナダ,メキシコ,ヨーロッパ製の薬を安く購入できるようになりましたが,製薬会社はそれを阻もうとしています.というのも,薬の開発には巨額の費用がかかる上,臨床試験を経て実際に使えるようになるまで12年以上かかりますから,外国製の安い薬が簡単に入手できるようになっては困るのです.その上,医療保険会社はジェネリック(後発医薬品,いわゆるゾロ)の使用を条件にすることもありますし,前述のAARPが薬価を引き下げるよう圧力をかけてくることも製薬会社にとっては頭の痛いところでしょう.
保険会社も選挙の結果ひいては政策の変更に神経をとがらせています.アメリカでは,なんの保険であれそれなしに生活することはできません.医療保険のほかにも,自動車保険,家の火災保険に洪水保険,それに最近有名になったところではハリケーンに対する保険というものもあります.こうした保険にアメリカの家庭が毎月支払う掛け金は,家計費に大きな影響を与えています.ところが実際請求する段になると,保険会社は何かと難癖をつけてきます.医療保険の場合には,もしそれで治療に齟齬をきたしても保険会社は患者から訴えられないように法律で保護されています.それに対し消費者組合などから文句が出ることはあっても,法律を変えるまでの動きには至っていません.それもこれも政治家への献金がものを言っているのです.
アメリカ医師会(American Medical Association)もロビー活動をしています.会長はもちろん医師で,専従なのですが,年俸は6000万円以上になります.しかしアメリカの多くの医師は,彼らが自分たちの意見を代表してくれているとは思っていないようです.
私の住んでいるルイジアナ州選出のジョン・ブロウ上院議員は2004年に膵臓がんの手術を受け,その後で行われた選挙には出ませんでした.その代わり製薬会社のロビー活動をする会社に高額の年俸で雇われました.彼の議員としての経歴がその役に立つことは明らかです.
医療制度について,日本の厚生労働省はアメリカを何年遅れかで真似しています.ただ,医療の質よりも経済的側面を重視しすぎているように思われます.「医療事故を防止し安全性を考えながら,しかも経済的に効率良く医療を提供しなければならない」という相反する条件下で医療が行われているアメリカでの実情を知ることは,「日本の国民が受けることのできる一番良い医療とは何か」を考えるのに役立つと思います.
最後になりましたが,本書刊行にあたって,寺野 彰先生(獨協学園理事長・獨協医科大学学長),寺岡 暉先生(前日本医師会副会長),上田裕一先生(沖縄県もとぶ野毛病院理事長)をはじめ,東京大学医学部昭和41年卒業の同級生の方々の御尽力を賜ったことを厚く御礼申し上げます.
2008年8月 ニューオーリンズにて
北浜昭夫