21世紀の生物学を特徴づけるものとして,ヒトゲノム解析の完了をあげることができます。ヒトゲノム解析の完了後も,さまざまな生物種のゲノム配列解析は怒濤のような勢いで進んでおり,ついには個々人のゲノム配列を解読しようというパーソナルゲノム解析時代が目前に迫っています。すでに分子生物学分野においてはゲノム解析データが存在することを前提として研究を進めることが当たり前になっています。
生命現象を分子のレベルで解明しようという分子生物学にも,そのインパクトは波及し,その結果,ゲノム解析情報を活用したさまざまな新たなアプローチも可能となりました。従来は,一度分化してしまえば分化状態をリセットすることが不可能であると考えられていた動物細胞でも,植物細胞同様に分化状態をリセットすることができるようになったことは大きな驚きです。
このようなことが可能となったのは,ゲノム解析情報を活用して開発されたDNAマイクロアレイ技術等が実用化されたことが最大の要因であるものと考えられます。このように,分子生物学も大きな変革期を迎えているということができます。
このような時代の流れを見据え,分子生物学分野における重要な概念や,実験方法,そして基本的な原理を網羅した事典を出版しようという構想を数年前に考え,それぞれの研究分野において活躍している最先端の研究者に各項目の執筆を依頼した時点から,本事典の作成が開始されました。
特に考慮したことは,単なる用語の説明ではなく,各項目についてある程度のスペースを割いて,基本原理から応用的な部分まで自由に解説してもらうという点でした。各項目の長さを無理に合わせるということはあえて行わず,小項目の辞典というよりも中項目を詳述する事典の体裁を目指しました。基本的な概念を速やかに理解するためには一定の紙数が必要であり,その分,項目数は減少しますが,各項目についての理解が深まります。
今後,生物学以外の分野においても分子生物学の知識,そして基本的な考え方を理解することが一層重要になるものと思います。異分野の研究者・知識人が読んでも大づかみにポイントを把握できることを一つの目標として編集しました。
このような意図を十分理解していただき,本事典を活用していただければと思います。また,日々進展していく分子生物学の展開を理解する一助にしていただければ幸いです。
2012年12月
編者 村上康文