テコム 出版事業部
医学関連書籍のご案内






放線菌と生きる

放線菌学会25周年を記念し,抗生物質の宝庫「放線菌」と歩み,研究を育んできた研究者たちが綴った歴史と思いのマイルストーン

放線菌と生きる

販売中
   紙書籍 
日本放線菌学会 編
執筆者一覧
[みみずく舎:発行]
B5判,268頁,1色刷
2011/09/08発行
¥4,180(本体¥3,800+税¥380)
ISBN 978-4-86399-101-9
放線菌学会25周年記念出版。
抗生物質の宝庫と知られている放線菌の研究者の足跡と思いを綴った「科学物語」。
学問や科学技術の発展の影にはいろいろな物語がある。放線菌研究の黎明期から現在までの歴史を眺望。

まえがき
 微生物に詳しい人は別として,本書を手にして,“放線菌ってなに?”と思う方も多いのではないか.細菌やカビは大昔から我々の生活と深い関わりをもってきたが,細菌の仲間でありながら放線菌はいまでも身近には顕在しない.19 世紀半ばに病原菌として発見されたが,その後の研究は地味な土壌微生物学の分野で行われた.放線菌が脚光を浴び始めたのは,1944 年に Waksman による結核の特効薬 Streptomycin(SM)の発見を皮切りに抗生物質生産の宝庫となってからである.抗生物質は,20 世紀において人類に最大の恩恵をもたらしたと評価されたが,その多くは放線菌によって生産されている.
 わが国における放線菌の最初の記載は,やはり病原菌としての存在であり,土壌微生物としての研究も進められた 20 世紀初頭前後のことであった.放線菌研究が本格化したのは,第二次世界大戦後,占領軍司令部(GHQ)によって SM 生産菌株(Streptomyces griseus S1)がもたらされ,SM 生産の向上に取り組んだことに始まる.さらに,チフスや赤痢に有効な Chloramphenicol や Tetracycline などがやはり米国から導入され,日本人の平均寿命延長に大きく貢献した.これらのことが,放線菌由来の抗生物質探索研究を日本独自に急進展させるモチベーションとなった.こうした中,1952 年に「無名の会」が生まれ,それから発展した「放線菌談話会」(1955 年)は,抗生物質生産技術相互提供の場であった「抗生物質技術懇話会」とともに,研究者や技術者に,研究機関や企業の壁を越えて世界に追いつこうという気構え,団結心,情報共有の体制と和やかな交流を与え,放線菌研究に拍車をかけるのに役立った.1961 年に「放線菌研究会」に発展してからは,多様な研究が展開されて多くの成果を上げるとともに,放線菌株の国際的な分類学的整理事業にボランティア的に協力して組織的研究力をつちかい国際的地歩を固めていった.1970 年には遺伝生化学的研究を目指す「放線菌育種談話会」が分科会として発足し,やがてこの分野でも世界をリードする存在となった.そして 1985 年には,世界でも類をみないユニークな学会「日本放線菌学会」が日本学術会議登録団体として誕生した.爾来,新属・新種の発見,ゲノムの解明,放線菌情報の収集・開示,国際シンポジウム(ISBA’88)の開催,「放線菌図鑑」などの刊行など,世界的インパクトのある活動を展開してきた.
 こうした歴史をマイルストーンとして残すため,黎明期から放線菌研究に携わった人たちに浜田 雅名誉会員が呼びかけて「放線菌の歴史を語る会」を発足させ,各自が分担執筆して学会誌に 2007 年(第 21 巻 2 号)から 2010 年(第 24 巻 2 号)にかけて掲載した.この連載をもとに,高橋洋子学会長の働きかけにより,学会 25 周年にあたる 2010 年度の記念事業として,単行本の編集を開始し,放線菌研究会発足 50 年にあたる今年(2011 年)刊行することになった.
 本書には,「放線菌学会の歴史(第一部)」と「放線菌の研究(第二部)」が収載されているが,さらに,浜田編集委員長の呼びかけによって,放線菌研究や放線菌学会に関係してきた人たちから寄せられた百余の原稿が「放線菌と生きる(第三部)」として収載されている.本書が“放線菌ってなに?”にも答えて,幅広い読者を楽しませることを願いたい.

2011 年 8 月 31 日  
「放線菌と生きる」編集委員会  

目次
第一部 放線菌学会の歴史
 はじめに
Ⅰ.放線菌研究会誕生まで
Ⅱ.放線菌育種談話会の発足(1971 年)
Ⅲ.放線菌学会への昇格(1984〜1985 年)
Ⅳ.第 7 回国際放線菌学会議(ISBA’88)
Ⅴ.放線菌育種談話会の合流
Ⅵ.学術集会
Ⅶ.学会誌の変遷
Ⅷ.学会賞
Ⅸ.出版物
Ⅹ.事務局

第二部 放線菌研究の歩み
Ⅰ.日本における放線菌研究の始まり
Ⅱ.抗生物質探索の幕開け
Ⅲ.希少放線菌生産抗生物質の動向
Ⅳ.ものにならなかった抗生物質
Ⅴ.放線菌の菌学的研究の概観
Ⅵ.Streptomyces coelicolor A3(2)の再同定とその意義
Ⅶ.希少放線菌の発見と再分類
Ⅷ.カルチャーコレクションと放線菌
Ⅸ.日本における放線菌遺伝学−抗生物質生産を中心として−
Ⅹ.日本における放線菌遺伝学−重要事項と学会との関連を中心に−

第三部 放線菌と生きる
天野 昭一放線菌の電子顕微鏡写真
新井 正放線菌研究の思い出
新井 守放線菌に助けられて
荒川 賢治アットホーム
有澤 章放線菌の想い出
安齋こずえ放線菌と私
安齊洋次郎ISBA’88 から始まった放線菌研究
五十嵐雅之放線菌と話す
五十嵐康弘出会いと放線菌学会
池田 治生Streptomyces 遺伝学,分子遺伝学,ゲノム遺伝学,そしてまた遺伝学
石川 淳宝泉菌
石倉 知之アガーピース法のこと
市瀬 浩志合縁奇縁で放線菌の世界へ
稲森 善彦昭和 63 年度日本放線菌学会開催を顧みて
岩井 譲放線菌学会と私
今田 千秋私の人生を決めた微生物“放線菌”
植木 雅志ある放線菌との幸運な出会い
上田 賢志放線菌の苦い思い出
榎田 竜三ふたつの思い出
大村 智放線菌との出合い
太田 敏子放線菌の思い出−研究者への道−
大谷 敏夫“ものとり屋さん”の出会い
岡崎 尚夫放線菌はあなたを待っている!
大塚みゆき放線菌学会とのなれそめ
緒方 靖哉放線菌が結んだ出会い
落合 淳純粋培養は異常な環境
岡西 昌則老兵のつぶやき
岡見 吉郎放談会から国際学会へ−出会いと回想−
岡本 晋思えば遠くに来たもんだ
小河原 宏日本放線菌学会との関わり
沖 俊一放線菌に医薬を求めて
長田 裕之門前の小僧
越智 幸三放線菌と歩んだ 39 年
尾仲 宏康放線菌と富山と私
梶浦 貴之放線菌株との出会いとこれから
乙黒 美彩放線菌との出会いそして…
春日 和感 謝
片桐 謙宝探し
掛谷 秀昭放線菌に魅せられて
川村 義己放線菌の想い出
木塚 正明放線菌に想う
木谷 茂放線菌を通した人との出会い
木下 直子放線菌とのこと
木村 賢一放線菌を育て,放線菌に育てられた私
小嶋 郁夫放線菌との 30 年のお付き合い
小林 達彦平成元年の良き思い出
小牧 久幸初めての放線菌学会,初めてが放線菌学会
小山 泰正思い出すこと
崎山 弥生放線菌と私
庄村 喬放線菌は美しい
鈴木 賢一一枚の「お宝テレカ」と放線菌
鈴木健一朗日本放線菌学会との出会いと化学分類
鈴木 伸一お世話になった先生方
砂入 道夫日本放線菌学会平成 10 年度大会事務局
清野 昭雄放談会(放線菌談話会)の頃
大利 徹放線菌との四半世紀
高橋 篤・堀田 国元Crossiella cryophila への思い:他力本願出世菌
高橋 幸男神秘な世界との遭遇
高橋 洋子“いつか記しておきたかった”二つのこと
玉村 健放線菌で思うこと
田村 隆核酸系抗生物質シネフンギンの生合成研究
田村 朋彦日本放線菌学会と私
照屋 貴之ミステリー現象に魅せられて
中嶋 睦安私の Rhodococcus 研究
中島 琢自放線菌学会に感謝
夏目 雅裕大会の思い出
奈良 高放線菌で生かされて
新見 治ただ一度の浮気
西村 賢治放線菌と共に歩んだ研究生活
橋爪 秀樹放線菌に対する思い
橋本 一私の放線菌経験
橋本 義輝私にとっての放線菌
長谷川 徹放線菌に魅せられて 40 年
長谷川幸子・目黒あかね  放線菌からの贈り物
波多野和徳忘れ得ぬ研究者と未解決な研究
波多野和樹放線菌研究との出会い
浜田 雅放線菌職人・化石のつぶやき・梅沢浜夫先生と放線菌
浜田 盛之アクチノバクテリアとの出会い
濱野 吉十放線菌と野球
早川 正幸33 年前の染色標本・土壌放線菌の選択分離法
藤井 良和偶然に助けられたこと
古米 保余 話
堀田 国元放線菌事始とカルチャーショック
本間 淑子放線菌のおもいで
増間 碌郎大地を育む微生物たち
町田 和弘学会で学んだこと
松本 厚子私の中での日本放線菌学会
馬目 太一放線菌に魅せられて
三浦 広美流 れ
三上 襄放線菌との関わり合い
宮道 慎二放線菌と私
妙田 俊夫放線菌学会唯一の“モグリ”会員
村松 秀行大会感想文など
山口 裕一放線菌から育んだ天然物創薬研究への情熱
山田 靖宙放線菌自己調節因子との出会いと放線菌学会
山田 毅アウトサイダーの私は日本放線菌学会の文化遺伝子と組換えをおこして進化した
山村 英樹放線菌学会大会実行委員を 2 回務めて
山本 英作「運命の放線菌」に出会える日
山本 聡司放線菌に想いをよせて―放線菌と歩んだ道―
吉田 珠実拝啓 放線菌の皆々様
 あとがき

TOP   


<<戻る
 699278